債務国各国別の再建案

先進各国はただちに政府・中央銀行・商業銀行が各々の国際的連携によって危機打開に動きだした。米銀、ごとに東海岸の巨大米銀を主力として、IMFを中心に債務国各国別の再建案を固め、リスケジューリング、リストラクチュアリング。厳しい民間債務から条件の緩やかな政府間債務への切換え、利子支払いを継続させるための新規追加融資実施などの具体策を打ち出して、ひとつひとつの国ごとにとりあえずの安定化を図ることに最大の努力を傾けた。いちおうの鎮静化をみることとなった。しかし、このあおりを受けてユーロ・クレジット市場はいっせいに縮小を続け、銀行ローンの形による国際流動性の融通という機能は八二年夏から八五、六年まで事実上、ほとんど停止するにいたった。

ヨーロッパに集まったドルであるためにユーロ・ダラーと略称されるようになった、巨大な無国籍的な国際資金市場の誕生である。朝鮮事変の勃発によって、米国においておくと敵性資産として差押えられるのではないかとの危惧から、ソ連・東欧圏・中国などは在米ドル資産を、パリやロンドンにあるソ連国営商業銀行ネットワークに預け替えた。そのうちで最も活発な受入れを行なった、パリの北欧商業銀行が有名であるが、その電報略号がEUROBANKであったために、これらの資金がユーロ・ダラーと名づけられたという説もある。いずれにしても、この市場はその自由性・無国籍性のゆえに拡大を続けていく。

オイル・ショック後急激に膨張した石油産出国の余剰資金がユーロ市場に投人され、さらにユーロ市場規模の拡大に大きく貢献するとともに、これらユーロ資金の国際的流通を積極的に支援したタックス・ヘイブンやオフショア市場が全世界的に拡大したこともあって、すでに総体的規模は実に三・六兆ドル(一九八六年末)に達しているのである。これら巨額な総体のユーロ市場は、必ずしもアメリカのドルだけで構成されているわけではない。この市場本来の商売は、主として銀行間で行なわれる無担保・短期預金の取入れまたは借入れであるが、取引銀行相互間の信頼のも七で迅速、活発な資金取引市場が結成されている。今や、欧州の各主要金融都市だけではなく、アメリカのIBF、シンガポール、香港、バーレーンカリブ海の島々、そして日本の東京オフショア市場にまで、このユーロ市場は拡大している。