国連マフィア北欧

大使は昼食仝の他、夕方にはいくつものレセプションを掛け持ちし、総会期間中は100回以上の会合に出席する。パーティーを通じて口コミで情報を入手するのも国連では重要な仕事だ。大使は15年間外務省に在籍し、外交方針については熟知している。重要事項は本国にファックスで報告書を送り、「もしこの方針に反対なら電話を」と連絡するが、大半は個人で決裁する。1991年に本国に照会した件数は10件に満たなかった。

こうしたミニ国家に限らず国連では相互に協力して外交面に成果をあげようとする国が多い。国連の中で「マフィア」と呼ばれるほど強固な団結力を保つ北欧諸国も毎日のように連絡を取り合い、委員会ごとに手分けして共同決議案を提出するなど連携に努めている。グループから交替で非常任理事国を選んで後押しし、定期的に安保理に席を占めてきたのも、その一例だ。

もともと、国連の理念に近い中立政策をとってきたことや、創設から二代にわたって事務総長を送り出し、国内のバックアップ体制を確立したこと、「国連協会」など民間の協力や支援が大きいことなどの要因も見逃せないが、国連に対する絶大な貢献と相挨って相互に協力関係を敷いたことが国連で特別な地位を占める現在の北欧を築いたと言えるだろう。常任理事国という強大なクラブに参入することなく独自の道を選んだ北欧の例は、さまざまなことを教えてくれる。

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「福祉元年」の画期的拡充策

福祉元年といわれた一九七三年には、健康保険上でも大きな改正が行われました。高額療養費制度の創設(完全実施は一九七五年から)と家族給付割合の引き上げ(給付率五割・七割)です。老人医療制度でも大きな改革が行われました。老人医療費無料化制度の創設です。

高額療養費制度は医療費負担の軽減を行う大きな改革です。それまでは、いくら高額な費用がかかっても、患者は一定割合の自己負担が必要でした。治療にかかった医療費がとてつもなく大きくなると、その一定割合とはいえ、自己負担も相当な額になってしまいます。そこで、上限打ち切り制度をつくったのです。医療費がいくらかかろうと、患者の自己負担には上限が設定されました。これが高額療養費制度です。自己負担の増大を防止し、安心して医療を受けるため、たいへん重要な制度といえましょう。

もう一つ大きな改革だったのが、老人医療費無料化政策です。高額療養費制度とは異なり、今日ではこの政策の導入は反省の念を持って、振り返られることが多いようです。老人医療費の高騰を招いたからです。俗に「タダより高いものはない」といいますが、老人の医療費を無料にしたことで、医療費全体が膨らみました。

そして、それを支える健康保険の負担の増大や税負担の増大を招くことにつながったのです。その後、老人保健法が制定され、老人医療費の無料化は廃止されました。高齢者(七十歳以上)の自己負担は、定額負担に改められました。そして、老人保健拠出金として、各保険者が老人医療にかかる費用を分担して支払う仕組みが導入されました。

健康保険制度は大きく二つに分かれています。一つはサラリーマンなどを対象とした健康保険、もう一つは白営業者などを対象とした国民健康保険です。二つまたは二つ以上の会社や工場で。常時七百人以上の従業員が働いているところでは、厚生大臣の許可を得て、独自の健康保険組合を設立することができます。これを組合管掌健康保険といい、略して「組合健保」といいます。それに対して、国(政府)が直接運営する健康保険を政府管掌健康保険といい、これを略して「政管健保」といいます。

証券化の仕組み

分業化によって、より効率的に情報生産機能の提供が可能になる。例えば、ある銀行が特定の地域や産業に関して格別に優れた審査能力を持っていたとしても、組成した貸出は保有し続けるのが前提になっているならば、分散投資を図る必要があるために、その地域ないしは産業に関してのみ貸出を行うというわけにはいかない。しかし組成した貸出を第三者に譲渡できるならば、そうした制限なしに、もてる審査能力を徹底して活用することができる。

また、資産蓄積の進展や人口構成の高齢化に伴って、資産変換機能の面で、銀行が伝統的に提供してきた流動的な貯蓄手段、預金よりも、年金や保険のようなタイプの貯蓄手段がより選好されるような変化が生している。そうであるならば、より需要に適合したかたちで金融仲介機能を提供するためには、情報生産機能は銀行が引き続き担当するが、資産変換機能は年金基金や生命保険会社のような機関投資家が担当するといった分業化を進めることが当然に必要になる。

この種の分業化は、証券化という形でも盛んに行われるようになっている。例えば米国における証券化の原型となった、住宅ローン債権、モーゲージーローンの証券化についてみてみよう。住宅ローン債権の証券化の仕組みは、概略としては次のようなものである。多くの住宅ローン債権をまとめて特別目的会社に一括譲渡する。特別目的会社は、その債権を担保にして証券を発行する。特別目的会社の証券発行によって得られた資金は、その特別目的会社に債権を譲渡した金融機関に代金として支払われる。

特別目的会社は、証券化のために設立一されたペーパー・カンパニーのようなものであり、それが発行する証券の信用度は、発行体の信用によってではなく、あくまでも担保となっている債権の内容によって決まることになる。ただし、そのためには、特別目的会社への債権の譲渡が「真正売買」であって、債権の元の所有者、原債権者がもし倒産しても、譲渡済みの債権には原債権者に債権を持つ者からの請求が及ばないように「倒産隔離」されていることが必要になる。

住宅ローン債権は、個々には異質的であるが、大量にプールされると、個々の異質性は相殺されあって、プール全体の特性は統計的に安定したものになると想定できる。そのために、個々の住宅ローン債権の質を評価することは困難でも、大量の債権のまとまりを担保とした証券、モーゲージ担保証券、MBSの質は、一般の投資家にも比較的評価しやすいものになると期待できる。

預金 格差社会

ディスインターミディエーション=銀行が資金仲介機能を失う事

ディスインターミディエーションとは、端的にいえば銀行がその資金仲介機能をうしなうことである。銀行や貯蓄機関はその機能からしばしばインターミディアリーと総称される。それは預金・貸出しという金融媒介機能を営んでいるからである。原信教授の定義によると「アメリカの金融市場での実勢金利が預金の規制金利の上限を上回ると、預金者はより有利な運用をもとめて預金を引き出し、長短期の債券・株式CPなどに乗り換えるようになる。すなわち、資金の供給者が仲介役である金融機関から資金を引き出し、直接資金の需要者が発行する証券に投資すること」である。

すでに米国では、一九六六年、六九年、七四年と預金流出が顕在化し、ごとに一九七九年一○月、FRBがインフレ克服のため、従来の金利調整政策から市場供給資金増加率の一定圏内維持政策に金融政策を転換して以来、一挙に市場金利は政策的抑制がきかなくなり、八〇〜八一年は史上最高水準に達した。このため、銀行・貯蓄金融機関は前述のようにCD、NOW勘定、MMC、ASC、TTS、RSU、シェアドラフト、ATS、SSC、スイープ勘定(勘定間の振替を許す預金口座)などを案出して預金流出に対応したが、MMMF、CMA等の証券金融商品にいずれも名を成さしめるのみであった。そしてついに「一九八〇年金融制度改革法」の制定により金利規制が八三年一〇月をもって完全自由化されるにいたった。

債務国各国別の再建案

先進各国はただちに政府・中央銀行・商業銀行が各々の国際的連携によって危機打開に動きだした。米銀、ごとに東海岸の巨大米銀を主力として、IMFを中心に債務国各国別の再建案を固め、リスケジューリング、リストラクチュアリング。厳しい民間債務から条件の緩やかな政府間債務への切換え、利子支払いを継続させるための新規追加融資実施などの具体策を打ち出して、ひとつひとつの国ごとにとりあえずの安定化を図ることに最大の努力を傾けた。いちおうの鎮静化をみることとなった。しかし、このあおりを受けてユーロ・クレジット市場はいっせいに縮小を続け、銀行ローンの形による国際流動性の融通という機能は八二年夏から八五、六年まで事実上、ほとんど停止するにいたった。

ヨーロッパに集まったドルであるためにユーロ・ダラーと略称されるようになった、巨大な無国籍的な国際資金市場の誕生である。朝鮮事変の勃発によって、米国においておくと敵性資産として差押えられるのではないかとの危惧から、ソ連・東欧圏・中国などは在米ドル資産を、パリやロンドンにあるソ連国営商業銀行ネットワークに預け替えた。そのうちで最も活発な受入れを行なった、パリの北欧商業銀行が有名であるが、その電報略号がEUROBANKであったために、これらの資金がユーロ・ダラーと名づけられたという説もある。いずれにしても、この市場はその自由性・無国籍性のゆえに拡大を続けていく。

オイル・ショック後急激に膨張した石油産出国の余剰資金がユーロ市場に投人され、さらにユーロ市場規模の拡大に大きく貢献するとともに、これらユーロ資金の国際的流通を積極的に支援したタックス・ヘイブンやオフショア市場が全世界的に拡大したこともあって、すでに総体的規模は実に三・六兆ドル(一九八六年末)に達しているのである。これら巨額な総体のユーロ市場は、必ずしもアメリカのドルだけで構成されているわけではない。この市場本来の商売は、主として銀行間で行なわれる無担保・短期預金の取入れまたは借入れであるが、取引銀行相互間の信頼のも七で迅速、活発な資金取引市場が結成されている。今や、欧州の各主要金融都市だけではなく、アメリカのIBF、シンガポール、香港、バーレーンカリブ海の島々、そして日本の東京オフショア市場にまで、このユーロ市場は拡大している。

共生によって生まれた新しい細胞

原核細胞と真核細胞のちがいをもう少し厳密にいえば、細胞核が膜で仕切られるような、明確なかたちで存在するかどうかがポイントということになる。ところで、現生の真核生物は、すべて酸素にたよって生きているが、真核細胞が酸素を利用しようとするとき几不可欠なのが、ミトコンドリアと呼ばれる微小な細胞器官である。また、緑色植物では、前項でふれたように、細胞のなかに葉緑体がある。

ミトコンドリアにも葉緑体にも、それぞれ独白のDNA(デオキシリボ核酸)があり、また両者共それ白身リボソームやRNA(リボ核酸)をもつ。このことから、ミトコンドリア葉緑体も、かつては独立した微生物だったのではないかと考えられてはいたが、それがどういう起源によるものなのか、はっきりしなかったようだ。

ところが、近年、どうやらミトコンドリアは共生原核生物に由来しており、葉緑体のほうも藍藻に近い原始光合成細菌のなごりであろうとする説が有力になったという。それにしても不思議なのは、もともと性質が異なっていた原核細胞に類縁のあるミトコンドリア葉緑体が、なぜ真核細胞に入り込んだのかということだ。

ここで登場するのが「共生説」である。この共生説について説明するためには、まず、微小生命である細菌が酸素の大公害で劇的な変化を被っていた真っ只中に、なぜ新種の真核細胞が出現したかを理解する必要があろう。

L・マルグリスによれば、真核細胞は、空気中の酸素濃度がまだほんの数パーセントしかなかった二十二億年前ごろ、とつぜん出現したらしい。さまざまな条件からみて、時間をかけてゆっくりと移行したものであったとは考えられないというのである。

人材能力の向上とミス・マッチの解消

日本の労働政策はこれまで長い間、第二次大戦後の高度成長期を経て日本経済に普及し定着してきた日本企業の長期安定的雇用慣行のメリットを強調し、とりわけ一九七〇年代中盤以降は「雇用調整給付金」などの支援措置によりそのメリットを維持することに力点を置いてきた。それはそれで重要なことであり、また、日本の雇用慣行や労働市場の長所として大いに国際的にも理解を求め、かっ参考にしてもらう価値のあることである。

しかし、それと同時に、これまで述べてきたように、日本経済をめぐる内外の環境条件が大きく変化しており、そうした変化に対応して、いまいちど日本経済の人材の適材適所を充分に実現しなおすことが必要であるように思われる。それというのも、日本経済をめぐる環境条件の大きな変化に対して、雇用の適応は必ずしも充分ではなく量的にも質的にもさまざまなミスーマッチが拡大しているように思われるからである。

世界経済や日本経済のコスト構造や技術構造の変化をつうじて労働需要の構造は大きく変わっているのに雇用の構造は必ずしも適切に対応していない。あるいは高齢化や少子化にともなって労働力の供給構造は大きく変わっているのに雇用のあり方は充分に対応していない。都市化や情報化にともなって、産業の分布や職業の中身は大きく変わっているのに雇用の構造や人材養成のあり方は的確に対応していない。これらのミス・マッチは枚挙にいとまがない。

重要なことは、内外の環境条件の変化に対応してこれらのミス・マッチを最小限にし、また同時に人材の質の向上ないし人的資本の蓄積を大いに進めることである。このような人材の活用と能力の向上に失敗すれば日本のように高コスト経済となった国では、経済資源は日本の外に流出してしまい、国内は空洞化、賃金破壊、雇用破壊の悲惨にさらされることになる。