日本人の仕事観

さて、そこで、現代の労働、働くこととはなにを意味するかということですが、これをひとことで言うのがむずかしいのは、日本人は、宗教性とか倫理性に関して、いろいろな要素が重なった生き方をしているからです。その意味では、日本人は世界的にも不思議な民族と言えます。

キリスト教イスラム教の文化圏では、一神教の世界ですから、倫理性も含む行動パターンが非常にはっきりしています。そこでは、働くこと、聖なること、あるいは遊びなどが明確に区別されます。だから、彼らは仕事が終わればすぐに帰ってしまうし、夏に1ヵ月くらい平気で仕事を休んでしまいます。

ところが、日本人はそういうのをすべて込みでやっている。仕事が好きな人は、それが遊びにもなっています。こういう人が1ヵ月も夏休みをとっていたら、それこそ逆にノイローゼになってしまいます。

職場の仲間と一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりしているほうが、家庭で奥さんや子どもと話しているよりよほど楽しいという人も少なくありません。仕事の中に聖なる世界も入っている。また、勤勉に働くことが日本人の倫理観にかない、そうしているほうが快い。

与えられた仕事を、その責任範囲の中だけでやって、それがすめばさっさと帰るということはしません。職人気質という言葉にも象徴されるように、仕事であろうとなんであろうと、一つのことをやるとなったら、とことん突きつめていかないと気がすまないところがあるし、そうすることに宗教的、倫理的陶酔を感じて快い。必然的に日本人は仕事時間が長くなりがちです。

だから、日本人に関して、労働とレジャーとを区別することはすごくむずかしいし、仕事だけを取りだして、「労働とはなにか」と問うても、あまり意味がないような気がします。外国から、日本は労働時間が長いと非難されますが、日本人は働くこととそれ以外のことを区別していませんから、向こうと同じ尺度で計ることが間違っています。

そこで、企業で産業カウンセラーをする場合も、そうした全体的な見地から見ていかないと、適切な対処ができなくなります。

「あなたはこのごろ働きすぎでストレスがたまっているから、少し休みなさい」というカウンセラーのアドバイスにしたがって一週間ほど会社を休んだら、よけいにストレスが強くなったという例は少なくありません。

極端な場合、クライエントがそのまま自殺してしまうこともありますから、ここでも全体を見るということがとても大事になります。