北朝鮮外務省の権限拡大

北朝鮮は一九九八年九月に憲法改正を行った。この憲法では、金日成主席を永久主席として扱うことになった。つまり「主席」の役職は、金日成主席にだけ用いられることになった。金正日総書記の国家指導者としての肩書は「国防委員会委員長」になった。国防委員会委員長は、事実上の国家元首である。

この憲法改正のもう一つの特徴は、内閣制の復活であった。政府機関や内閣に、以前よりも権限を与えることになった。社会主義国では、共産党などの党が政府や軍を指導する体制を取ってきた。北朝鮮の場合も。党が政府を指導する体制であった。この原則は、なお基本的には変更していないが、運用をやや変えたのである。この結果、政府の権限がかなり強化されたのである。外交は、外務省が権限を握ることになった。

北朝鮮の外務省は、冷戦時代は社会主義国を対象にした外交だけがその任務であった。同盟国と兄弟国との付き合いが、外務省の最大の任務であった。

前にも線部の担当であった。統一戦線部とは、日本的な理解からすればいわゆる「工作機関」である。西側諸国が、韓国を支援し北朝鮮と敵対する「敵」であるため、外交よりは工作が優先されたのである。

北朝鮮の基本的な国家目標は「南朝鮮革命」と「南朝鮮統一」であった。革命と統一のために、日本やアメリカに対する工作活動が展開されたのであった。

だが、冷戦の崩壊は北朝鮮の外交と工作の展開を困難なものにした。外務省が担当してきた社会主義国が、ほとんど崩壊してしまったからである。となると、外務省は西側諸国に対する外交を担当しないと、役割を失うことになる。一方、北朝鮮としても日本やアメリカに対して工作ばかりしていたのでは、関係改善を推進するのは難しくなる。こうして、外務省が西側との外交に本格的に乗り出すことになったのである。

その最大の成果が、米朝高官協議の始まりであった。米朝高官協議を巡っては、北朝鮮の統一戦線部は最後までその主導権に固執したが、結局は北朝鮮外務省が担当し成果を収めたのであった。米朝高官協議の北朝鮮側代表団の構成を巡り、統一戦線部と外務省の間で、相当な駆け引きとやり取りが展開されたのだった。最終的には、外務省が全てを担当することになった。