伝統が生きる産後のケア

老若を問わずほとんどの女性が、この姿勢で産んでいる)。産んだ後で夫に姑を呼びに行かせた。二番目の時は、夫の仕事の都合で釜山にいて、手伝ってくれる人がいないので病院へ行って産んだ。入院する時に隣町に住む実母に電話をかけ病院に来て、つき添ってもらった。この時は実母に来てもらって自宅で産みたいと考えていたのに、実母が病院の方が手があるからよいだろうと言ったのでそうした。午前七時に入院し、正午に生まれ、少し休んで帰りたいと申し出たら許可されたので帰宅した。三人目は島に帰っていたし、姑がいてくれたので、自宅でお産した。

このように病院であろうと自宅であろうと、まったく平然としたお産受容観には変わりがない。これは子ども時代からの、祖母に聞かされた真実のお産像の積み重ねのせいではないかと強く感じた。産後の母体の快復の方法については、各家庭のやり方が重視されていて、退院後二一〜三〇日間は、自宅(婚家)あるいは実家で養生に専念する。「女は子どもを産んだ時、一番大事にしてもらえる」(良洞、五七歳女性)の言葉通り、子どもが生まれることは、儒教意識の強い韓国では大変な慶事とされ、米のほとんど収穫されない良洞でさえ、白米飯を食べさせてくれたし、たくさんの餅をついて近所へ配ったという。

さらに嫁の快復については姑に一任されているから、いくら日頃は仲の悪い嫁姑でも(そのため別居している場合でも)、この時ばかりは姑は腕によりをかけて世話をする。そうしなければ、親類縁者や近所の人々から非難を受けるそうだ。姑や実母は、自分が出産した時にしてもらって、母体の快復に大変効果があったと思われる食べ物や薬草を嫁や娘のために用意し、世話をするごとを常としていた。それらは韓国全土に流布している伝統的な民間産後食であったり、民間薬であったり、またその地方独特の伝統的な方法であったりした。

産後食として有名なのはミヨ。クといわれるわかめのスープで、血をきれいにするものと解され、どの産婦もかならず産後に食べているし、お産の神様である産神にも供えている。またボバックというかぼちゃによく似た野菜を蜂蜜で煮込んで作る汁を食べることも、産後の肥立ちをよくし、いわゆる血の道の起こるのを防止する食べ物として、伝統的によく利用されている。これらはすべて女性から女性へと民間伝承されたものであり、医療などの裏付けがなくともその効力はゆるぎないもめとして人々の信頼を得ている。

またオンドルバン(床のレンガ構造をうまく配置して建築し、かまどの煙と熱とが床全体を暖める構造であるオンドルになっている部川)において、徹底的に足腰を暖めるということも、産後の母体快復には欠かせないものとされていた。秋冬だけだったという人もいたが、お金に余裕のある家庭などでは、好い魅でも産後はオンドルで汗とともに産後のいらなくなった血などをに訂ろすことは大切なこととされていた。