人口減少社会は貧しくなるという思い込み

日本という国に、日本国民に、投資をしなかったツケは確実にやってきている。それは長期的に日本経済の成長を低下させる。そうした事態を招いてしまったのも、自国と自国民に対する悲観的な考えなのである。負けても仕方がないのだという自己卑下的な、自国に対する悲観論は、ライバルたちにとっては、願ってもない状況だった。中国にとってさらに好都合だったのは、中国は国益という発想で動くが、日本は、企業の利益という発想でしか動けなかったことである。日本という国のあまりの無防備さと、統治機能の低下を猷いながら、それを逆手に取られたのである。日本は自国の利益を守る力も意志もないと思われてしまっては、おしまいである。国の主権さえもが危うくなりかねないのだ。

日本の未来に対する悲観論の根拠として、近ごろ盛んに言われているのは、日本は人口減少により経済が縮小し、デフレに陥るのも仕方のないことで、高齢化と相まって消費が低迷するため経済成長は期待できず、今後、市場が拡大する中国などのアジア諸国に進出するしかないという議論である。確かに、人口の減少が、経済成長にとってマイナス要因であることは否めない。しかし、労働人口よりも、経済成長を大きく左右する要因は、技術力や生産性である。しかも、一人当たりの豊かさという点で見れば、人口減少はむしろ有利に働き、本当の意味で豊かな社会を築く絶好の機会でさえあるのだ。中国がなぜ一人っ子政策を行ってきたのか。それは、人口が増えすぎることが貧しさをもたらしたからだ。

高度高齢化社会についても、同じことが言える。今の仕組みのままでいけば、確かに困ったことになるだろうが、もっと柔軟に発想し、工夫を凝らせば、より人間的で、豊かな社会を実現するきっかけにもできるのだ。一見ピンチに見えることは、社会や経済の仕組みを、新たな段階に引き上げるチャンスにもなり得る。ピンチをチャンスに変える発想こそが必要なのであるが、今の日本に満ちているのは、このままでは破綻だという行き止まりの議論ばかりである。バラ色の未来が開けるように見える中国も、急速に高齢化している。二〇二〇年には、一人の年金生活者を、二・五人で養う状況になると推定されており、二人で一人を支えることになる日本の状況よりはましなものの、日本の現在の状況よりも悪い。さらに二十年もすれば、日本よりも深刻な超高齢化社会に突入する。三億人、四億人の老人がひしめく老人大国になる。中国の未来が、日本に比べて、そんなに明るいようには思えない。

貧困妄想とともに、うつ病に特徴的な症状に微小妄想がある。自分を実際以上にちっぽけな存在と思い込み、過度な自己卑下に陥るのである。日本は、微小妄想に囚われて、本当にちっぽけな島国に逆戻りしようとしている。うつ病には、かかりやすい典型的な気質というのがある。メランコリー親和型気質とか、執着気質と呼ばれるもので、几帳面で、秩序や規則を好み、勤勉で、責任感が強く、他人に対して気遣いや奉仕をする傾向が特徴である。これは、働き者の日本人の特徴そのままでもある。遊びが苦手で、仕事中毒の人はうつになりやすいが、休暇を削ってまで働こうとする国民性が、うつ病や自殺の増加にも一役買っている。また、執着気質には、過度な完璧主義や潔癖さ、融通の利かなさヽ白か黒かにこだわる聡がさ、不寛容といった面があり、それが首を絞めあう状況を作り出してしまう。

近年、日本を覆う空気には、そうした傾向が年々強まっている。異質な者や、失敗した者を、懐深く受け入れるのではなく、潔癖なまでに排除しようという傾向である。そうした頑なで不寛容な社会は、誰にも同じ基準を求めようとし、過ちを許さない。だが、完璧な人間などいるはずもなく、枠にはまらない人間や主体的に行動しようとする人間は排除されやすくなっている。求められる水準に応えようとすれば、そこで無理がかかるばかりか、持ち味が生かせない。潔癖で過度な完璧主義というのは、良い点を評価するよりも悪い点ばかりをアラ探しするという傾向に通じる。批判ばかりして肯定や評価はしないという風潮が満ちてくると、誰もが意欲や自信をなくしていく。同じ政策を行っても、その意味が肯定的に伝えられるか、最初からそんなものは無意味であるように伝えられるかで、効果は大きく違ってくる。