特徴的な超高齢地帯

高齢化率の高いところがどこにあるかを地図に落としてみると、興味深いことが分かってきた。一つは、深谷地区のような山間部に点在する集落である。なかでも白神山地岩木山の山々に近づくにつれ、高齢化率は上がり、子供の数も少なくなっていく。他方で、鯵ヶ沢の町中にも高齢者集住地帯があることも分かった。もともと雇われの漁師や、その漁師たちを雇う網元や運搬業者から成り立っていた町で、またこうした人々の日々の暮らしに関わる商売を営んでいた人たちの町でもあった。漁業・海運の衰退、そして町そのものの拠点性の喪失が、人口に大きく反映されていた。

鯵ヶ沢の町の中心部と、町から最も遠い山間の周縁部に広がる超高齢地帯。一九五〇年代からの人口減少開始以来、町では、一九七〇年代からは過疎指定も受け、ハードーソフトの両面で積極的に様々な過疎対策を行ってきた。また地域の外から有識者や研究者、市民活動を通じた様々な資源を導入し、その導入は、国立大学との県内初の提携、環境NPOによる自然于不ルギー推進の町という、外向きにはすばらしい栄誉を勝ち取ってもいた。にもかかわらず、その背後で進行していた地域内の少子高齢化地域間格差の拡大に対して、実質的にはほとんど無策であり、気がついたときには数十年前であれば考えられないような、超高齢社会が町の中心部と山間部に展開してしまっていた。

とはいえ町の中心と周縁の二つの特徴的な超高齢地帯のちょうど中間には、高齢化率の低い場所も現れていた。それはこの町でも、それなりにきちんと形成された郊外の新興住宅地であり、中心市街地を迂回するバイパス沿いに、新しい住宅街と大型スーパー、そしてコンビニやパチンコ屋が立ち並び、若い人々はここに集住していた。この現状をあらためて確認する中で、町でも、今度ばかりは住民主体の過疎対策の重要性、必要性を切実に感じ始めていた。しかも加えて、先述のように、この町では財政の問題が、他所よりももっと大きくのしかかっていた。自治体の財政難は、むろんのこと、職員の生活にまで深く及び、町では、事業の見直しを進めるとともに、職員の給与削減と新規職員採用を控えるところまで手をつけて、財政再建に取り組んでいた。

それゆえ、面白いことも生じていた。とりあえず職員はいるが、財源がないので、新しい事業が興せない。過疎法による過疎債も、これまでは償還が楽だということで、過疎指定市町村は他市町村から羨ましがられたものだが、利子補給があるといっても結局、借金は借金である。借りたものは、いつかは返さなければならない。いまやそうした体力もなくなってしまっていた。そこで補助事業の確保に向かうのだが、補助金を獲得しても、メニューが細かく、自主的にやれるものが少ない。そもそも、町のためにするものなのか、それとも補助事業提供者(各省庁や国・県の外郭団体)のために仕事をするのか分からないものも多いことに気づき始めていく。期待した大学との連携も、結局、大学のためだったのか、町のためだったのか。当の町では、本当に必要なものまでも切り詰めており、地域再生への切実さははっきりしてきているのに、なかなかそれに応じた応援も連携も得られない。

二〇〇〇年代に現れ始めた一連の状勢変化は、次第に一部の職員の意識を変えたようだ。危機は必ずしも社会を悪い方にばかり引っ張るわけではない。むしろ、この危機は、よい意味での意識の変化を生み出すきっかけになったのかもしれない。自分たちが動かなければ町はよくならない。給料が出ているだけでもまだよい。とにかくお金をかけずに、手間暇をかけて地域を再生していかなければならない。他方でこれまで、各地域に平等に振り分けられていた事業も、すべてに万遍なくばらまくこともできなくなっていた。どこかを切り捨てるわけではないが、まずはやる気のあるところ、まとまった力のあるところに重点的に施策を振り向けるしかない。地域住民自身にきちんと力を発揮してもらって、地域再生を進めていかなければ、自治体職員だけでは状況は好転しない。