戦争を持ち込むアルカイダ

バクダッド以外の地方都市でも、宗派、民族を問わずデモが起こっています。スンニ派が中心になったムーセル、シーア派のバスラ、タルト人たちのキルクークなどです。宗派、民族とは無関係だというのは、デモでわき上がったシュプレヒコールからもわかります。「ノーモアロリズム バアス党反対 マーリキ(首相)反対!」。デモが各地で起きた結果、バスラの知事が辞任し、ファルージヤの市長、市会議員も辞任しています。とくに問題なのが宗派対立を解決するためという名目で、宗派ごとに権力を分配するようになったことです。たとえば、イラクの大統領と二人の副大統領はスンニ派シーア派、タルト人から一人ずつ選ばれることになっています。そのことで、かえって国民が宗派を意識するようになってしまいました。いま、イラクの大統領を務めているジャラルータレバニーはタルト人です。

私はイラク人を何人か知っていますが、その誰もがアメリカと戦争する前には宗派を意識することはほとんどなかったと言っています。宗派に関係なく弾圧されるときには弾圧されるし、出世するときには出世していました。大事なのは宗派よりも、当時の大統領のサダムーフセインに対してどのような立場にいるかだったのです。ですから、スンニ派シーア派の結婚もあり、共存していました。ですがいまは、宗派を意識させられることが、嫌だ、と彼らは言っています。もう一つは、ほかのアラブ諸国と同じように腐敗の問題です。コネを持っている人だけが優遇されています。そこで、宗派対立をあおるような政策への反対と、腐敗をあらためるように要求するデモが起こったのです。そこにはもう一つ、その二つの原因を作ったアメリカに対する抗議の意味も含まれていました。

しかし、イラク各地で起こったデモで数十人の死者が出たことはほとんど報道されませんでした。デモが警察や軍の武力によって鎮圧されることがあったにもかかわらずです。報道されなかった理由の一つはこうした問題の根っこにアメリカの関与があったことが大きいでしょう。アメリカがイラクで作った政治システムに問題があり、腐敗もしていることを認めたくないのです。その結果、イラク戦争後、あたかもイラクは民主的な国家になったかのような印象を世界に与え続けています。アルジャジーライラクの問題を報道してい洙したが、イラクにしかない腐敗であるかのような、特殊な問題として報じていました。

シーア派が多数派のイラクでは、選挙の結果、イラク戦争後の首相は全員シーア派でした。スンニ派だったサダムーフセインの政権下では不満を感じることがなかったスンニ派イラク人の一部が、アルカイダのような保守的原理主義的傾向に向かいました。それだけではなく、アルカイダシーア派の人たちを同じイスラム教徒として認めていないため、毎日のようにシーア派の人口が多い地域や、シーア派の巡礼地で爆破事件が起きています。あまりに頻繁に起こるため、残念なことに報道価値がなくなり、数十人の死者が出ない限りニュースにもならない状態です。アラブでは戦争になると、現地の人が戦うだけではなく、外から自分たちの戦争を持ち込む勢力が現れます。たとえば、アルカイダは、対アメリカ、対シーア派の戦争をイラクに持ち込み、レバノンでもシリアでも同じことが起こっています。政情が不安定な国に、自分たちの主張する対立軸を持ち込み、テロ行為で戦争を煽ります。

アルカイダは一つのまとまった組織ではありません。サラフィ、原理主義的なイデオロギーを信奉するグループがあちこちにあるだけで、命令系統が一つではありません。ムスリム同胞団もそうですが、指導者の教えがあればドクトリンとして機能し始めます。そのため、いろいろな国でアルカイダを名乗る人たちが活動し、事件を起こしています。ですから、実際には、自分たちが名乗っているだけで、アルカイダグループを捕まえても、全体から見れば一部にすぎないのです。しかも、意図的にアルカイダが起こした事件として片付けることで、政治的な成果を得ている場合もあると思います。また、アルカイダのなかにアメリカの情報機関から送り込まれている人たちもいます。彼らが起こす行動が何を目的にしているかは注意深く見る必要があると思います。