リーディング・インダストリーの消滅

いまでは、地球上のどこへ行っても、それぞれの上地で人びとが営む生活のうち、もっとも華やかな部分は、すべてアメリカ人の真似である。自分たちのライフスタイルを、別に力で強制したわけでなく、ビジネス・商売すなわち商品の売り買いというごくありきたりの方法を使って、全世界の人びとに真似させることに成功したIとは、まことに偉大で、ほんとうにすさまじいことである。その意味で、二十世紀はまさに「アメリカの世紀」であった。二十世紀には、アメリカが文字どおり世界を制覇した。

だが、どんなにすばらしいライフスタイルでも、それをある一定期間追求すると、その延長線上では「黄昏」を迎え、「行きづまり」に直面する。すなわち、はじめのうちは、ほしくてほしくてたまらないけれども、まだ手に入れてない商品がいくつかあった消費者も、それらを買い終わった後には、新たに買いたい商品がなくなる。それがここで言う「黄昏」「行きづまり」にほかならず、前出した言葉で言えば「飽食」にほかならない。

日本は、かなり以前に、この段階に到達したものと思われる。びとつのヒントは、昭和三十年代の「三種の神器」、昭和四十年代の「3C」に相当するキーワードが、昭和五十年代以降はまったく生まれていないという事実だろう。さまざまなヒット商品はあるけれども、携帯電話にしてもパソコンにしても、言わばシングルヒットにすぎず、車やテレビのような場外ホームランではない。

それにしても、気になるのはアメリカのことである。世紀半ばにこのライフスタイルを完成させたアメリカは、それ以後、挑戦すべき大テーマを失ってしまったのかもしれない。そう言えば、さまざまな面でアメリカの繁栄に験りが生じたのは、二十世紀後半のことではないか。

「黄昏」「行きづまり」の到来は、産業構造の面では、リーディングーインダストリーの消滅を意味する。従来は経済成長を力強く引っ張ってきた自動車産業と電気機械産業と(さらに、それらに素材を提供する鉄鋼産業や化学産業など)が、「成熟」段階を迎えてそれまでのような牽引力を失う。新産業が誕生して新しいりIディングーインダストリーとならないかぎり、成長は鈍化する。