おびただしい数のダミー会社

大口融資先の顔ぶれを眺めるだけで、同行がどのような銀行であったかがありありと分かる。麻布建物、イトマン、第一不動産、秀和、イーアイーイ、富士住建、朝日住建、末野興産……。それらの頭文字をとって「AIDS」(エイズ)や「FOCAS」(フォーカス)と鄭楡されたバブル企業が勢揃いしているのだ。日債銀が設立したおびただしいダミー会社の数は、こうしたバブル企業とのつき合いの数に他ならなかった。

同行の不良債権問題を語る際に重要なことは、こうした日債銀の説明を待つまでもなく、市場がその無謀な融資を感じとっていたことだろう。先にも触れたように、金融債の流通市場と、日債銀株が取引された株式市場は敏感に反応していた。

日債銀金融債には、大別して二種類ある。政治家の資産隠し商品として悪名高い一年満期の割引金融債と、二年、三年、五年満期の利付金融債だ。流通市場が確立されているのは後者である。日債銀の利金債は同行が破綻に至るまでに何度も、マーケットに襲われた。

その最初が、九二年半ば、関連ノンバンクに対し、他の金融機関に支援を仰いだ時であったことはすでに述べた。二度目は九五年夏、兵庫銀行の破綻がきっかけだった。この時には、興銀債との利回り格差があまりに目立ち、同行は新たに発行する利金債の利回りを上げざるを得なかった。さもなくば買い手がつかない状況に追いこまれたのだ。

そして三度目は九六年秋、日債銀が関連ノンバンクの借入れに関連して農林系金融機関に「念書」を渡したとの情報が駆けめぐった時のことだった。日債銀債は売り浴びせられ、利回り格差は拡大の一途を辿った。