アメリカの半導体産業が縮小した原因

日本では半導体のユーザーが同時にメーカーでもあるケースかほとんど(三井や住友などの企業グループに範囲を拡大して考えると、この傾向はいっそう顕著になる)なので、アメリカ企業は事実上日本のマーケットに食い込む余地がない。反対に日本企業から見れば、国内市場がしっかりしているのでぃ不況になっても安心して研究開発や生産設備に投資を続けることかできる。こうして好不況の波に二、三回洗われるうちに、アメリカの半導体メーカーは首位の座からころげ落ちていく。

アメリカの半導体産業が縮小したのにともなって、半導体の素材や製造機械のメーカーも姿を消した。日本の場合、半導体製造機械メーカーも一匹狼ではない。大手の半導体メーカーの子会社か、あるいはそうでなくても、半導体を生産するメーカーや企業グループと密接に提携している場合かほとんどだ。となれば、新しい製造機械か開発されたり素材か不足気味のときなど、アメリカのメーカーへの納品が、日本のメーカーよりあとまわしになるのは当然だ。誰だって、よそ者よりは身内を優先する。アメリカのメーカーが日本の製造機械メーカーに頼らざるをえないとなれば(事実その傾向か強まりつつある)、新製品に関して有利な扱いは望むべくもないだろ

結果的には、小規模で単品種しか生産できず経験も資金も不充分なアメリカの弱小メーカーが、重量級の日本企業に立ち向かう構図になった。この戦いでは、ダビデは巨人のゴリアテに勝てなかった。いかにすぐれた発想かあっても、強固な構造に支えられた日本の産業を打ち負かすことはできなかったのである。

アメリカは、自国の産業が外国に追いつけるように産業政策を実施するような国ではないのだが、今回ばかりは何か手を打たざるをえなかった。そこで官民合同の半導体技術開発会社セマテックを発足させたのだが、当初はセマテック本来の目的を隠して「国防技術向上のため」(予算の半分は国防省の高等研究企画庁から出ている)と公表していたため、技術開発か効率的に進まなかった。国防省はもっぱら半導体チップの性能向上を求め、民間企業は信頼性の向上と低価格化を追求しようとしたからだ。一九九〇年には民間企業が協力してUSメモリーズという半導体生産の合弁会社を発足させようとしたがうまくいかず、モトローラ社は次期のチップ製造施設を日本の仙台に建設する、と発表した。

半導体とちかって、コンピューターの市場ではまだアメリカが優位を保っている。一九九〇年の世界全体のマーケットーシェアを見ると、アメリカはその前の四年間でシェアを一七ポイント下げたものの、まだ全体の六五八−セントのシェアを保っている。日本か優位に立っているのはラップトップーコンピューターだけで、しかもこの部門でも、ブランドで見ればアメリカのゼニス(現在はフランスの企業)が最大のマーケットーシェアを持っている。コンピューターの輸出高は大幅に減ったものの、日本国内を除けば、アメリカのコンピューター・メーカーのマーケットジェアは減っていない。