地球温暖化の問題につよい関心をもつ

ヴェブレンの経済学は、人間の尊厳と自由を守るという視点にたって、経済制度について進化論的分析を展開するものでした。ヴェブレンの考え方は、制度学派の経済学として、経済学の歴史のなかで、一つの大きな流れをつくりだし、ニ一世紀前半のアメリカの人学で、中心的な位置を占めたのです。他方、デューイは、リベラリズムの立場にたった教育理念を提示し、アメリカにおける学校教育の発展に重要な貢献をしました。日本で、戦後導入された新しい学校教育制度もじつは、デューイの教育理念にもとづくものでした。

デューイは、人間が神から与えられた存在ではなく、知性をもち、自らおかれている環境に対処しながら人間としての本性をたえず発展させようとする主体的存在としてとらえようとします。人間が人間として生きることができるためには、学校教育が決定的な役割をはたすとデューイは考えたのです。

一人一人の子どもが、それぞれ育ったせまい家庭的、地域的環境をこえて、さまざまな生い立ち、考え方をもった数多くの子どもたちと交流しながら、それぞれのもっている先天的、後天的な資質が充分に生かされ、人格的成長を可能にするのが、学校教育であるとデューイはくり返し強調しました。

シカゴ大学は、その後半世紀にわたって、リベラリズムの中核的な大学として大きな役割をはたしてきました。そのとき、シカゴ大学で、リベラリズムの伝統を守ってきたのが、プランターナイト教授でした。私かシカゴ大学にいた頃、ナイト教授はまだ健在で、経済学の基礎にあるリベラリズムの思想についてじつに多くのものをナイト教授から学ぶことができました。

私か、この数年間、地球温暖化の問題につよい関心をもちつづけてきたのも、このリベラリズムの立場からです。地球温暖化に象徴される二十世紀の文明はやがて、リベラリズムの立場を貫くことができないような状況をつくりだし、将来の世代が、人間的尊厳を保ち、市民的自由を守りつづけることが不可能となる危険をもつように思われるからです。とくに、二十世紀を通じて支配的であった二つの経済体制、資本主義と社会主義という経済的仕組みにとどまっているかぎり、この危機的状況を超えることができないように思われます。