窓際族の給与が高い

管理職といえども、当時の窓際族が安穏としてはいられなかった様子がよく分かる。では、社内失業者と窓際族の最大の違いとはなんなのだろうか。それは、年齢だ。窓際族の年齢は50代以上が中心層であり、現代の社内失業者は20〜30代の若手中心。実に20〜30年近い開きがある。「なんだ年齢だけか。若者か、中高年か、その違いだけ?」と思うなかれ。実は、この年齢というところが極めて重要なのだ。なぜ年齢が重要なのか。当時の窓際族の証言を、前出の資料から抜き出してみよう。

「終身雇用制度がなくなるとか、右肩上がりの成長はできないとかのマスコミ報道は、そのとおりだと思います。家電・AV不況によって当社の業績はきびしい。これまで定年退職後は子会社出向などの受け皿もあったのですが、ここ1、2年は60歳の定年でほんとうにおわりですよ」現在の年収は1300万円だが、来年55歳になると減額されることも分かっている。これでは、いやおうなく社外に眼を向けざるをえない。(加藤仁「新・窓際族の「人生もうひと勝負」」『現代』1994年10月号 傍点ママ)以下も同じ特集からの引用。

極洋には感謝しています。斜陽産業のためうけいれてくれる子会社が少ない現状で、こうしてつぎの職場を紹介してくれたのですからね。同期の多くは、自分で職探しをしていました」当時、年収は1000万円ほどであった。転籍するとその七割になるが、それでも窓際族でいるよりはいいと思ったという。(中略)「(引用者注転職後の)月給は30万円、極洋時代にくらべると三分の一の年収です。それでも仕事にありついたのだから、ほっとしています」(前同)給与の減額は、窓際族当人にとってはきっと辛かっただろう。教育費のかかる子供も、家のローンも抱えていたかもしれない。しかし、社内失業者から見れば、その年収はなんともウラヤマシイ額である。「月収が手取り17、8万円」「年収230万円」などの金額と比べると天と地ほどの差がある。

窓際族が証言していた当時は、年功序列賃金がまだ生き残っていたギリギリの時代だった。独立行政法人 労働政策研究・研修機構「企業における人事機能の現状と課題に関する調査」によれば、成果主義を導入済みの企業のうち、76.9%の企業が2000年以降に導入したという。今や、「成果主義を導入している」企業は54.8%、「導入していない」の44.6%を上回っているわけだが、それまでは当然ほとんどの企業が年功序列の賃金体系だった。当時の50代以上の中高年と言えば、まさに賃金ピラミッドのピーク。低賃金過ぎて結婚や出産も二の足を踏んでしまう社内失業者とは状況がかなり違うので、「窓際族も減給をくらって可哀想」とは素直に思えない部分がある。

「窓際族の給与が高いと言っても、段々と上かっていった結果であって、20代、30代の頃は、やっぱり薄給だったんだ。今の若者と変わらないよ」と思われるかもしれないが、社内失業者の辛さは、第一章でも述べたように、今後の昇給が難しいところにある。窓際族が生まれた1960年代〜90年代は、年を経るごとに賃金が上かっていくのが普通だった。だから若いうちは給料が安くても、年齢を重ねて給料が上がっていけば、家族を持つことも家を買うこともできる希望があった。だが、社内失業者にそんな希望が持てないことは、前述した通りだ。

こんなウラヤマシイ話もある。ぜひ、出てくる金額にも注目いただきたい。「(前略)近くに小学校があるにもかかわらず、自宅の周辺にはなぜか文具店がない。それで、自宅を改装して文具店を開き、そのかたわら子供を相手に書道を教えようと思った」(中略)大野さんの資金計画は、貯金500万円、通常の退職金2000万円に希望退職の特別金が7、800万円。支出の方は住宅ローンの返済が400万円、自宅を改装して店を作る費用に500万円。手元に1800万〜1900万円は残る計算である。