同盟における米国との関係

占領時代以来、軍事面で強く依存してきた米国との関係を、冷戦後の流動的な国際情勢下にどのように整えていけばよいだろうか。原則をいえば、一方では幼稚なナショナリズムに基づく「自主防衛」の冒険を排し、他方ではパワーを持つ者にともないがちな米国の独善、思い上がりにはクールに釘を刺していくことであろう。

九六年四月の「日米共同宣言」は、「安保堅持」と先に答えの出ている算式を解くようなものであった。「ソ連の脅威」と対決する米国と結ぶことにより、日本自体にとっての脅威に対処するというのが冷戦下の同盟である。

ソ連が消滅した以上、不要になったのではないかという日本、米国双方の国内にある疑問に答えるための共同宣言だったが、条約の改廃という選択肢は、日本政府には初めからなかった。

結果として同盟の目的は、「日本領土の防衛」という本来のものから「アジア太平洋の平和と安定」へと、大きく広がっている。実のところこの共同宣言でにわかに広がったわけではない。

冷戦中から米側は、日本を「アジア太平洋」での軍事行動の前方展開拠点と位置づけ、日本もこれを認めていた。共同宣言は、この実態を追認したものといえよう。

さらにいえば、湾岸戦争でも実行されたように、世界的規模で行動する米軍を支える機能を、日本自らが引き受けたというべきだろう。すなわち、「一極支配」となった冷戦後の米国と、冷戦下と同様に共同歩調をとっていくということである。

日本政府はこれを日本自身の判断にもとづく合理的選択とするだろう。しかし、敗戦後一貫して続けてきた「安保体制一辺倒」の単純な延長に堕していく危険は大きいといわざるを得ない。